1997年1997年

2017.12.18 第9話

年賀状、考。

左手の人差し指、第一関節あたりがしびれている。もう、50年にもなる。10才の冬、今頃だと思うが、彫刻刀でひどく切った古傷だ。骨まで達したのを覚えている。そう、年賀状の版画を彫っていたのだ。ゴム版を使えばいいものを、木版にこだわって、彫りづらい部分を無理して、やってしまった。
 
物心ついた頃から「年賀状」は田中家の恒例のものだった。父が毎年干支を彫って版画年賀状にしていた。父の古い友人で「国松さん」という方の年賀状が毎年圧巻で、達磨(だるま)の絵を筆で描いてくるのだが、子供ながらに楽しみで、毎年心待ちにしていた。父も少し対抗心があったようだ。papaも小学校に入ると同時くらいに「年賀状」を始めたと思う。
 
高校を卒業するくらいまでは、ず〜っといい子だったので「干支」を題材にしていたが、デザインの道に入った頃から「デザイナーが干支って!?ダサくないか?」と、ツッパリ始めた。もっと、その年その年の「自分のテーマ。想うところ。」そんなものを題材にしようと考えた。
 
デザインとは何か?自分はどんなデザインを目指すのか?青かったな〜!mamaとの結婚が早かったが、子供ができるまでは、二人がどういう過程で「今があるか。」みたいなことをテーマにしていた。これもかなり「青い。笑」。長女の愛ちゃんが生まれたあたりからは、当然のように「家族」がテーマになった。その頃から「外遊び」が盛んになっていったので、「田中家。今年も元気に自然の中で遊んでます。」的なメッセージを、イラストだったり写真だったり、ボディアートだったりで表現してきた。毎年毎年のことなのだが、デザイナーとしては「初仕事」なわけで、かなり肩に力が入っていたと思う。「青かったのだ。」
 
papasdesignを開業してからは、やはり、papasの今年の指針みたいなものを表現してきたが、3年前から肩の力が抜けてきて、あらためて、今の自分が「干支をテーマに」してみたらどうなるのだろうと考えるようになった。なんだか面白いので、とりあえず、十二支続けてみようと思う。やはり還暦なのか?いい子に戻りつつあるのだ。今年はどんなものがお届けできるのか?
 
それにしても、今までの「田中家の年賀状」の一番は、1997年の家族全員でのボディパフォーマンス「元旦」かな〜。(元旦をクリック)21年前ですね。
 
◀︎第8話へ  第10話へ▶︎